おのずから 相あふ時も わかれても 独りはいつも独りなりけり
Isabela Merced - I'll Stay (from Instant Family / Lyric Video)
いや なに ねえ
昨年度は 昔 通った
写真教室の ゆるいOBコースに通ったんだが
年度末の卒業展示の作品展示を手伝う
人の目に触れて「写真」と為す作業
コロナの発生にともない
出品者の多数は 展示作業せず
展示係に 作品を託す
ある女性の作品を展示作業する
マスク着用で判然としなかったが
グループ旅行の時に
楽しくおしゃべりさせてもらった方だな
複数枚の展示なので
彼女の指示を仰ぐ
作品の養生をめくると
イイ雰囲気の作品群でありつつも
ソコには「背景しかない写真」作品も
イイ雰囲気の写真の やり口
ともいえるのだが
数枚の作品群を見ると
ソレを知ってる人間は
ソレと気づきますわなあ
ボクはソレとは違うけど
ソレと気づきますわなあ
被写体を亡くした写真だと
また ある女性の
APAアワードの奨励賞に輝いた
「ひとりオリンピック」ってな
楽しい作品を展示作業する
この女性ゆえに 成立する
セルフポートレート
セルフポートレートだけが持つ
圧巻のオリジナリティー
これも また
5枚展示なので
彼女の指示を仰ぐ
そして
何かしら
取りに行く為 一旦 帰宅
彼女が不在なので
作品をぼんやり眺め
しみじみと
『ああ、これが終われば
また ひとり になるのだなあ』と
寂しさとも 喜びともつかない
愛しいような 切ないような 心持ちになって
コロナがとうとう ヤバイってんで
卒業展示は 最終日を待たずして
終了し
生徒達が集まり 打ち上がることもなく
終焉したのよね
ううう
なんじゃこの終わり方
終わることは解っていたけど
心づもりのなかった 「終わり」
自然消滅系 の 恋愛の終わり方
アレが最後だったんだなあ と
思春期真っ盛りの50歳 半世紀少年ボーイとして
コレは
尾を引く なあ と
昨今の流れで
何らかの情報は SNSで得る
トイカメラ好きとして
7年前は
単なるカメラアプリだと思って
インストールしていたインスタグラム
ログインなしでは
閲覧しにくい
否応なく
改めて インスタグラムのアカウトを
写真をアゲることはない
が
かつての写真教室同窓生が
すぐさま フォローしてくれた
おのずと
インスタの写真にふれる
7年前とは違い
ほどよく香るパヒューム から
もはや
鼻が馬鹿になって
香水原液美女のような 写真
かの地では
高画素高解像度とは
加工する為の 下絵 なのだなあ
大丈夫
間違いなく 綺麗だよ
簡易的にやっつけて
桜に厚化粧を施したがために
空が紫になってるようなモノも
まあ
イイじゃんか
一斉に咲いた桜は
沈没する船から逃げ出すネズミのように
大慌てで消えていった
私的には
昨年のような感慨もなく
咲いて散る
というだけで
1年という月日
この1年で 気づいたことが
ブログ全盛期から
10年も写真を趣味にしていると
写真の知人 友人が
ある時 凄く上手い写真を アゲる
『ああ、上手く成らはったなあ』と思っていた
が
それは デジタル“家電”カメラ ボディ が
最新機種に 買い替えられた時だと気づく
α7Ⅱ以降の時代は
如実に そうだ
そもそも
それなりに上手かった人や
すでにSNSが存在していた人
そんな人達が
最新の映像処理を積んだカメラで撮る画
とても素敵です
執着しては いけない
固執しても いけない
無印 EOS 5D の時代
EOSのデジックが進化していっても
「フルサイズ」が 勝る
時代遅れになった 無印5Dを使っていた
現行モデルを気にすることなく
しあわせに
EOS Rの発売時に EOS5DmarkⅡを買った
7万ほどだった
EOS R5 が そろそろ発売され
R6 も発表されるだろう という今
EOS R を買う
こんなものに17万ほどの価値は無いと思う
収入全体の割合から算出する食費
裕福 貧困を問わず エンゲル係数 は有る
食わないと死ぬ
エンゲル係数は貧乏なほど高い
豊かなほど低い
収入全体に対する割合なのだから
撮らなくても死なない
やはり 17万の価値は無い
EOS Rは 悪くない
比べるα7Ⅲも 持っていない
5DmarkⅡからすると
慣れるとも 思えない
そもそも
5DmarkⅡにも慣れてない
しかし綺麗に撮れる
誰が撮っても そうだろう
これで また しあわせに なれる
しばらく は
なにも 気にせず
これで また
綺麗な写真や
素敵な写真を 嫌える
年始に
現行カメラを手にしたら
『映え』を撮る と
ウソだった