すべて つながっている

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正しい答えは無く
間違った答えも無い

ナニが、
自分にとっての答えか
が、正しく解らないだけなんだ。

『正解』って、ヤツ…

 

 


同一被写体を
模索しながら
何十枚も撮る

たぶん
最初の一枚が
一番良く撮れてるんだ

そして
全描写が
写真作品としては駄作だろう

…希に、最後の切り取りが
イケてたりするから
…まったく、もう

 

 

 


ソレは

記憶か記録か

作品創作か脊髄反応か

自己顕示欲か自己憐憫

ソノ衝動の
理由は
随分 前に忘れてしまった

理由も意義もわからない

ソウせずにはいられないのです

仕様もなく、仕方もなく『撮る』

 

 

デジタルカメラより
フイルムカメラがいい?

正解かしら
間違いではないだろう

なんなら、トイデジでもいい

いいんだが、
よくない

望む描写が
トイデジでは得られないから

デジタル一眼を使ってるだけだもん

 

いろんなカメラを試しゃいい

どーせ
カメラ所有の喜びは
被写体を得た悦びには
遠く及ばないのだから

 

 

 

早ければ早いほどいい

フイルムカメラを買うだけで
自分の描写が得られるなら

そうかも知れないのなら


自分のカメラは
easyに入手できるだろうが

自分の画を得るには
experienceが不可欠で

自分だけの被写体に
出逢うのはunusualで


その時に
その場所に
カメラを構えていない限り
撮ることはかなわないのだから


早ければ早いほどいい
欲するカメラの所有なんて

 

 

 

「撮りたい」と感じた
その瞬間

使用機の最速でも
1/8000秒後を撮ることになる

僕が撮りたいと感じた
その瞬間を描写できることは
あるのだろうか

刹那を切り取ろうとする
その行為は

常に、手遅れ

 

 


よく聞く
よく目にする

撮ることについての言葉たち

撮って撮って撮りまくれ
と、聞けば
一枚一枚を大切に撮れ
と、誰かが言うのを聞く

考えて撮らなきゃダメ
と、見れば
感じたままに撮らなきゃダメ
と、誰かが書いているのを見る


反意のことを言っているようで
同意のことを言っている

同じじゃないか

撮って撮って撮りまっくった
一枚一枚が大切で

感じたままの
咄嗟に撮った写真が

それまで
写真を考えて
考えた結果なのに

 

1,001枚目の得心のいく描写は
それまでの
1,000枚の考察と経験の

苦悩の成果じゃないか


果して成るのか
成して果てるか

 

 

 


一枚を撮るのに15分
露光した

撮り始めた瞬間から
撮り終わるまでに15分が流れ過ぎ去る

いったい
僕は、どの瞬間を撮りたかったのか

始めの数千分の1秒か
900秒後の世界か

長時間露光の
写真だけが
時間を進んで


シャッターを切る15分前に
僕は、置き去りにされる

 

 

切り取った時間を見返す作業

カメラ背面の液晶での描写の確認
パソコンモニターでの善し悪しの品定め
現像ソフトウェアでの処理

写真を写真たらしめる為の
プリントアウト
あるいは
耐えられないほど軽薄なネット投稿


そして
その行為のさなかでさえ

切り取った時間は、過去のものになっていく

劣化することなく

朽ちる潔さもなく

 

数分後の未来の画を想像して
長時間露光しても

仕上がった写真は

常に過去のもの

 

 


「卒業展示」を知らせるべく
手紙を書く

展示作品になりえなかった
写真を3枚
同封する


数日後、
封書が送られてきた

封筒の中には、

文字としての言語は
彼の名前しか書かれていない

彼のポストカードが4枚
に、直筆のサイン


無言の
写真という表現方法


こうあるべきか…

ちっぽけなサイズの
ポストカード写真

その描写が
僕を悔しがらせる

…こうあるべきだ。


彼は
卒展に来てくれたのだろうか

 

 

 


いつか悔しがらせてやる

 

 

 

 


『人と人が出逢うことは革命』

カッコいい駄洒落。

「運命」の韻を踏む
イカすwordが、ソレ
「革命」だったのか。

 

「革命」かぁ…

 

今までの体制を破壊的に改革するのが、
『革命』だとしたら

誰かと出会い
誰かの影響で
思考が
感受性が
人生観が
これからの人生が変革する…


それは、どの誰にとって喜ばしいことなのか

革命ってぇのは、進化なのか

 

物事に対する考え
考察や審美は、感化させられるだろう

自身が受諾できるような
美意識は自ずと浸透し

美、そのものは感染する

誰かの影響で
旧体制から新体制へと変われるのなら
慎んで享受しよう


だか、僕は
そうさせない

vitality溢れる人の
溢れた分だけ
ともに排出しつくされた
delicacyの無さが嫌い

繊細な眼差しで洞観されるのが嫌い
逞しい鈍感力で看過されるのが嫌い

誰でも撮れる他人の描写が嫌い
僕を痺れさせる他人の描写が嫌い
僕を悔しがらせる他人の描写が嫌い

和気あいあいと過ごす時間のなかで
実感する孤独が嫌い

目的意識を持つ人の実行力が嫌い
なにも出来ない人の言い訳が嫌い

その人の美徳が嫌い
その人の悪徳が嫌い

くだらない他人の言葉や行動が嫌い
そのくだらない言葉や行動で
さらにくだらない思考の深みにはまる
自分が嫌い

etc. etc.


そして
ソレらの人や
言葉や出来事との出逢いは
僕の表皮にべっとりとへばりつき

僕を「保守革命」へと導く。

独り第三帝国


表と裏を
光と影を
併せ持つ様々な事柄は、
結果
僕を、僕に、押し留める。


僕を
僕たらしめる
すべての事象が
いとおしい

 

人と出逢い

楽しみを共有し
悲しみをも共有し

時間と空間を共に過ごしたとて
人生観、人生そのものを一変させられる
ことなど
あるんだろうか

人との交わりは
ひどく疲れる

イメージできないことは
実際に、できないこと

表皮にへばりついたものが
内部爆発するなんて
想像できない


おねがい

だれか

ぼくを

 


さよならFacebook

 

 

 

 

  2013年5月にフェイスブックに投稿

 そして 僕は『写真』というもの を辞めました